エド・ゲインとは一体どんな人物だったのか【番外編】様々な映画に影響を与えたシリアルキラーの概要

エド・ゲイン

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エド・ゲイン Ed Gein

エド・ゲイン

https://www.americas-most-haunted.com/2016/10/12/ed-gein-one-oddest-notorious-killers-american-history/

1906年8月27日 – 1984年7月26日(77歳没)

死因:肺癌からの呼吸不全
罪:殺人2人、9体の死体泥棒
別名:プレイン・フィールドの屠殺解体職人
家族構成:母、父、兄
逮捕日:1957年11月16日

上記の他にも実の兄を含めた5人の死・行方不明に関与しているのではと疑われている。
彼は裁判で「正気を失っている」と判断され、無罪を宣告されたのち、精神病院に収容され余生を過ごした。

エド・ゲインとはざっくり

アメリカのシリアルキラーである。
過度な男性嫌悪に傾倒した母親により、閉鎖的環境に置かれ歪んだ教育を受けて育つ。
母親が絶対的存在であり、母親死亡後に猟奇事件を起こした。

女性を殺し、その死体で様々な”作品”を作っていた。
また、母親から受けた歪んだ教育の影響で女になりたいという願望を持っており、女性の死体の皮を使って服を作ってたとされる。

田舎の近所では”ちょっと変わっているが、大人しい正直者”とされていた。
そんな人物が猟奇的な事件を起こしたことは町中に衝撃を与え、センセーショナルに報じられた。

そんなエド・ゲインの事件は様々な作品に影響を与えたとされている。

エド・ゲインにインスパイアされたとされている映画

エド・ゲインの半生

母親の男性嫌悪

アウグスタ・ヴィルヘルミーネ

https://www.nzherald.co.nz/world/who-was-the-mother-of-the-most-depraved-serial-killer-of-all-time/T75XZ2O7K7AGAP5LBGPKDKHVV4/

父・ジョージは仕事が長続きせず、アルコール依存症であった。
エド・ゲインの母・アウグスタは、離婚したかったが宗教上の理由で離婚はしなかった。
やがて全ての男性に対し、侮蔑の込もった目を向けるようになった。

母親はエドが生まれた際、男児であることを知ると『ほかの男性と同じようにはしない』と決心したという。

閉鎖的な世界

ウィスコンシン州プレイン・フィールド

https://www.emaze.com/@aqwqzolt/Ed-Gein

1915年頃、家族は人里離れたウィスコンシン州プレイン・フィールドにある農場に引っ越した。

母親は引っ越した先が辺鄙な田舎町であることも活用し、息子たちに悪影響を与える可能性のある部外者・よそ者を遠ざけようとした。
それにより、エドは通学以外の時間はほとんど農場で過ごしたという。

第二次世界大戦中に徴兵検査のためミルウォーキーに行ったときと、ウィスコンシン州立中央精神病院に収容された以外は彼はこの街を出たことがないとされている。

異常行動

ある日エドは母親の掟に背き、屠殺場に忍び込んだ。
探しにきた両親はエドが逆さまにぶら下がった豚の死骸を抱えているのを発見した。

母親が豚を真ん中から切り裂いて内臓を取り出したとき、エドは性的快感を味わったと伝えられている。

母親の歪んだ性教育

母親は2人の息子に対して、「人間は生まれながらにして邪悪であり、飲酒は悪徳行為であり、そして、(自分を除いた)すべての女は淫乱であり、悪魔の手先である」と言い聞かせた。

母親は息子たちに聖書の言葉を毎日聞かせ、女という生き物の不道徳と放縦さについて繰り返し警告することにより、地獄に落とされることに対する恐怖を抱かせ、女に対する性的な欲望を抑制させようと考えていた。

エドが友達を作ろうとすると、母親は彼を叱り、その人は「悪い」家庭の出身だと言って、父親のような負け犬にはなりたくないなら関わるなと忠告した。

近所での評判は『頼りになる正直者』

父親が1940年に亡くなった。

エドはその頃、近所で子守として働き、大人と過ごすより子供たちと過ごす方が楽しそうだったそう。
兄・ヘンリーは子持ちの女性と出会い、結婚する計画を立てていたが、いつまでも独身で母親への執着が強いエドを気にかけていた。

兄・ヘンリーの死

1944年5月16日、ヘンリーとエドワードは敷地内の湿地帯に生えている草木を焼き払っていた。
炎は制御できないほど燃え盛り、消防車が出動。
消化はできたものの、兄が行方不明になってしまった。

捜索隊がうつ伏せの状態で死んでいるヘンリーを見つけた。
ヘンリーの死は、「一見すると、この発見現場で死んだように見受けられる」「火傷や怪我の形跡は無く、心不全で死んだ」と判断された。

捜査当局はエドに殺人は不可能と判断したが、ヘンリーの胴体に火傷の跡は見られず、頭部にはひどい打撲の傷が見られた。

しかし、事故死と断定され、公式の調査も解剖も行われなかった。
エドが殺したのでは?との噂がある事件である。

”神”だった母親の死

母親は一度脳卒中を起こしてから介護が必要となり、エドは母親の介護に専念した。
同時に、墓荒らし、頭部縮小術、人体解剖学に関する本を熱心に読んでいた。

1945年12月29日、母親は67歳で脳卒中により死亡。

母の死後、エドは母が使っていた自宅の2階、階下の客間、居間を木の板で囲み、足を踏み入れなかった。
この頃のゲインは、低俗雑誌、冒険物語、食人、ナチズムによる残虐行為を描いた読み物に興味を引かれるようになった。

ちなみにナチ占領下の収容所で死んだ囚人の皮膚でランプシェードやブックカバー、手袋を作るなどの異常行動をしていたとされるイルゼ・コッホ(1906年9月22日 – 1967年9月1日)という人物がいる。
刺青をしている囚人がいるとその囚人を注射で薬殺してから皮を剥いで収集したりさえしたとされている。
ランプシェードなどの現物は見つかっていないそうだが、刺青がされた皮膚のコレクションは現存している。
エド・ゲインが彼女に影響を受けたかは不明。

犯行発覚

1957年11月16日、バニース・カーナヴァー・ウォーデンが姿を消した。

バニースの息子で副保安官のフランクが彼女の働く店に入ると、床に血痕が見付かった。

この日の夕方、エドは食料雑貨店で逮捕された。
ウォシェラ郡保安局がゲインの農場を捜索した。

郡保安官代理はエドが所有していた小屋の中でバニースの死体を発見した。
彼女は首を斬り落とされており、両足首は横木で、両手首には縄が回されて固定されており、両脚は逆さまに吊るされていた。

胴体は鹿の肉を食べるのと同じ要領で、『下ごしらえ』されていた(血や内臓が抜かれていた)状態だったそう。
彼女は22口径小銃で撃たれており、ゲインは彼女を殺したあとに身体を解体した。

バニース・カーナヴァー・ウォーデン

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エドの部屋から見つかったもの

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  • 人の骨全部とその断片
  • 人の皮膚で作ったゴミ箱
  • 人の皮膚で覆われた椅子
  • 寝台支柱に引っ掛けられた頭蓋骨
  • 上部が挽き切られた女性の頭蓋骨
  • 人の頭蓋骨から作ったボウル
  • 肩から腰まで皮を剥いだ女性の胴体から作った体型補正下着
  • 人の脚の皮膚から作った脛当て
  • 女性の頭の皮膚から作った仮面
  • メアリー・ホーガンの顔を使って作った仮面(紙袋に入っていた)
  • メアリー・ホーガンの頭蓋骨(箱の中に入っていた)
  • バニース・ウォーデンの頭部全体(黄麻布のずた袋に入っていた)
  • バニース・ウォーデンの心臓(達磨ストーブの正面に置かれてあったポリ袋の中に入っていた)
  • 9つの外陰部(靴箱の中に入っていた)
  • 少女用の衣装と、「およそ15歳」と判断された女性の外陰部が2つ
  • 女性の乳首から作ったベルト
  • 4つの鼻
  • 日除けの引き紐にくっ付いた一揃いの唇
  • ヒトの顔の皮膚から作ったランプシェイド
  • 女性の指と爪

エドの犯行

エドは墓地から9体の死体を盗掘した行為を認めた。

母・アウグスタの死からまもなく、ゲインは「文字通り、母の皮膚の内部に入り込み、母・アウグスタと一体化する」ために、「女性用スーツ」を作り始めた。
ゲインは性転換手術も検討していたという。

結局、性転換手術を受けるのではなく、死体の皮膚から女性用のボディ・スーツと仮面を作り、それを衣装として着用し、月夜に踊った。
エド・ゲインの生涯に関する本の中で、心理学者たちは彼が子供の頃から自分の男らしさに疑問を抱いていたと理論づけている。
彼は母親から男は弱いものだと教え込まれていたため、母親のような力強い女になろうと考えていた。

尋問を受けたゲインは、1954年以降行方不明となっている居酒屋の女主人、メアリー・ホーガンを撃ち殺したことを認めたが、その出来事の詳細については「分からない」と答えた。

エドは逮捕後、精神鑑定により心神喪失状態であると判定され、無罪を言い渡された。
その後は精神病棟に送られ、余生を過ごしたという。

他にも彼の近隣で8歳〜42歳の男女4人が行方不明となっているが真相は判明していない。

精神病棟での生活

彼は愛想がよく、従順で、模範的な患者であった。
しかし、視界に入ってきた看護婦や女性の職員に対しては、当惑するかのようにじっと見つめていたという。

彼は認知症、癌、呼吸不全を発症し、老人病棟で78歳で亡くなった。

参考情報

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