ピンク・フラミンゴ (1972年) 93分【番外編】ピンク・フラミンゴの出演者たちのその後

ピンク・フラミンゴ

悪趣味映画をつい観てしまうのですが、みるたびに出演者のその後が気になってしまいます。
気になってみたのでピンク・フラミンゴの出演者たちについて調べてみました。

基本情報

Pink Flamingos
ピンク・フラミンゴ
1972年 93分

ピンク・フラミンゴ 出演者

https://variety.com/2022/film/news/pink-flamingos-vile-stupid-repulsive-greatest-movies-of-all-time-john-waters-1235466190/

キャッチコピー『そそりたつ芸術。』
キャッチコピー(英語)『AN EXERCISE IN POOR TASTE』
製作国 : アメリカ
日本公開 : 1986年6月21日
アメリカ:1972年3月17日
製作費 : $10,000
興行収入 : $6,000,000
レイティング : R18+
ジャンル:コメディ・ホラー

あらすじ

バブス・ジョンソンという偽名を使って潜んでいるディヴァインは、卵しか食べない母親のエディ、不良息子のクラッカー、覗き趣味のある友人のコットンと共に、ボルチモア郊外のトレーラーハウスに住んでいた。ある日、タブロイド紙がディヴァインを「世界で最も下品な人間」(The filthiest person in the world)と評したことから、我らこそが「世界で最も下品な人間」だと主張するマーブル一家との争いが始まる。

※参照元:Wikipedia


英語版 予告編

出演者たちのその後

ジョン・ウォーターズ

ナレーター役、監督、脚本
1946年4月22日 – ご存命

ジョン・ウォーターズ

https://people.com/john-waters-career-movies-obituary-liarmouth-interview-exclusive-8667683

地元のボルチモアの友人たちでドリームランダーズというチームを組み、映画の製作を行なっていた。
ゲイであり、パートナーがいる。トレードマークの口髭は付け髭。
4人兄弟のうちの1人として生まれ、カトリックとして育てられた。

1987年、プレイボーイ誌は当時41歳だったウォーターズをアイドルへのインタビューに起用したが、インタビューはうまくいかず、ウォーターズは後に「一種の惨事になった」と語っている。

ウォーターズは、元マンソンファミリーのメンバーであるレスリー・ヴァン・ホーテンの仮釈放を主張し、2010年の著書『ロールモデルズ』の中で「彼女の犯罪はずっと昔のことであり、彼女は社会に対して償いをした」と書いている。
2023年にヴァン・ホーテンが仮釈放された後、ウォーターズは彼女のプライバシーを尊重して彼女についてこれ以上話さないと述べた。

ディヴァイン

ディヴァイン役
1945年10月19日 – 1988年3月7日(42歳没)
死因:新肥大

ディヴァイン

https://www.bbc.com/culture/article/20241011-how-shocking-drag-queen-divine-went-mainstream

本名はハリス・グレン・ミルステッド。

メリーランド州ボルチモアの保守的な中流家庭に生まれ、女性向けの美容師として働いていました。
1960年代半ばにカウンターカルチャーシーンで傾倒し、ジョン・ウォーターズと友人となった。
その後はジョン・ウォーターズの監督作品に数多く出演している。

父親はメリーランドの7人兄弟の家庭に育ち、母親はセルビア系の移民で15人兄弟だったそう。
2人は1938年に結婚した後、2度の流産を経験し、ディヴァイン(ハリス)が誕生した。
本人は幼い頃から甘やかされて育ったと回想しており、幼い頃から肥満気味だったそう。

1988年3月7日、『ヘアスプレー』が全米公開されてから3週間後、ディヴァインはロサンゼルスのホテルに滞在していた。

ディヴァインのお葬式ではジョン・ウォーターズがスピーチを行い、棺はディヴァインの祖母のお墓の隣に納められた。
ジョン・ウォーターズのインタビューによると、ディヴァインは仕事以外では男装をしており、世間が思う性自認は違うという。

『彼は女性として見られたかったわけではなく、怪物として見られたかったのだ。彼のファッションはヒッピーを怖がらせるために考え出された。
彼はゴジラになりたかったのだ。エリザベス・テイラーとゴジラを合わせたような存在になりたかったのだ。』

デヴィッド・ローチャリー

レイモンド・マーブル役
1944年8月21日 – 1977年7月29日(32歳没)

デヴィッド・ローチャリー

https://midnightmurphy.com/2018/12/16/the-mystery-of-david-lochary/

死因:ドラッグとお酒の過剰摂取と自傷行為による出血多量で死亡した。
PCPというストリートドラッグを摂取しており、麻酔作用があるため、痛みを感じなかったと言われている。

ミンク・ストール

コニー・マーブル役
1947年8月25日 – ご存命

ミント・ストール

https://jp.pinterest.com/pin/43628690134126094/

本名ナンシー・ペイン・ストール。ミンク・ストールという芸名で活動している。
ジョン・ウォーターズの全ての長編作品に出演している。
彼女はローマカトリック教徒の家庭に生まれ、10人兄弟の大家族で育った。
アメリカの無宗教団体、ユニバーサル・ライフに所属している。

メアリー・ヴィヴィアン・ピアース

コットン役
1947年11月9日 – ご存命

メアリー・ヴィヴィアン・ピアース

https://youtu.be/KREE2a_STVc

ジョン・ウォーターズの幼なじみ。
ジョン・ウォーターズの全ての長編作品に出演している。

ダニー・ミルス

クラッカーズ役
不明 – 2017年1月21日

ダニー・ミルス

https://m.imdb.com/title/tt0069089/mediaviewer/rm1873287169/

エディス・マッセイ

母エディ役
1918年5月28日 – 1984年10月24日(66歳没)
死因:リンパ腫と糖尿病の合併症

エディス・マッセイ

https://www.rottentomatoes.com/celebrity/edith_massey

彼女はユダヤ系の両親のもと生まれる。
エディスが5歳の頃、父親は第一次大戦の毒ガス攻撃による合併症にて亡くなった。

その後、母親は再婚をしたが、子供達を置いて姿を消してしまった。
エディスの異母兄弟によると、
”両親は子供達を孤児院に預け、突然姿を消した”
エディスの母は1925年3月1日に亡くなった。

エディスは里親に引き取られたが、新しい両親は彼女に冷たく、10代でハリウッドへ逃げた。

チャニング・ウィルロイ

チャニング役
1940年11月8日 – ご存命

チャニング・ウィルロイ

https://jp.pinterest.com/pin/102316222754219442/?send=true

彼はマサチューセッツ州プロビンスタウンに住み、旅館を経営している。
働くのが大好きなおじいちゃんの様子。

チャニング・ウィルロイ

https://provincetownindependent.org/community/people/2024/09/18/from-hat-to-home-channing-wilroy-makes-his-own-world/

クッキー・マーラー

クッキー役
1949年3月2日 – 1989年11月10日(40歳没)
死因:エイズ関連肺炎

クッキー・マーラー

https://www.brightwalldarkroom.com/2022/05/16/the-ballad-of-cookie-mueller/

彼女は子供の頃、亀やおたまじゃくしなど複数のペットを飼っていた。
11歳のときに洪水事件の執筆を始め、321ページにまとめたあと、地元の図書
館に置いたそう。それ以降その本は見つかっていない。

彼女が14歳の頃、事故で兄が亡くなっている。
高校生の頃はヒッピー仲間とつるんでいた。
”落ち込んだら髪色を変えればいい”という母親の教えにより、彼女は頻繁に髪を染めていたそう。

彼女はジョン・ウォーターズのいくつかの作品に出演したのちにニューヨークへ移り、作家、ジャーナリスト、コラムニストとして活躍した。

クッキーはイタリアの芸術家ヴィットリオ・スカルパティと結婚したが、スカルパティは1989年9月にエイズで亡くなった。
同年11月に彼女もエイズ関連肺炎にて亡くなった。

ポール・スウィフト

エッグマン役
1934年8月18日 – 1994年10月7日(60歳没)
死因:エイズの合併症

エッグマン

https://m.imdb.com/name/nm0842622/mediaviewer/rm3194823424/

アメリカの俳優でジョン・ウォーターズの長編映画4作品に出演した。
同性愛者であることをオープンにしていたという。

エリザベス・コフィー

レイモンドを驚かせる露出狂役
1948年3月 – 不明

エリザベス・コフィー

https://houseofselfindulgence.blogspot.com/2014/09/pink-flamingos-john-waters-1972.html

トランスジェンダーの女性である。
私立の男子校でも女性として振る舞い、ポニーテールにしたり、男子生徒とデートをしたりしていたという。

豊胸手術と女性ホルモンの摂取を開始していたものの、まだ性転換手術を受けていない時にピンク・フラミンゴに出演した。
養子として迎えた子供が1人いる。

ジョン・ウォーターズとは今でも交流があり、現在はLGBTQ+の支援活動を行っている。

デイビット・グラック

”歌う肛門”を披露した男役
1950年1月22日 –  2020年6月2日(70歳没)
死因:肺炎


ピンク・フラミンゴ

ピンク・フラミンゴ DVD

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参考情報

 

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